パズルとの関わり
ナンプレなどのリトゥンパズルにはまる以前は、パズルと言えば詰将棋、プロブレム(チェス)や数学パズルでした。3年ほど前にコンピュータの雑誌(週刊アスキー)でナンプレを解き、その面白さにはまりました。詰将棋やプロブレムの作図をしていた私は、すぐに解くだけでなく、作るほうにもはまってしまいました。最近では、ナンプレだけでなく、サムクロス、推理パズル、クロスワード、漢字パズルなど、いろいろ作成しています。
ナンプレの面白さをよく理解していなかった初期の作品は、詰将棋の感覚で意外性のある手筋を組み込もうとしていました。しかし、ナンプレは詰将棋と違って、これでは作者の意図は伝わらないし、理詰めで解けない面白くない作品ということになってしまいます。作るのはものすごく大変なのに、できたものはつまらない。
その後、しばらくは作図をしないで、とにかく解きまくりました。面白いと感じた作品にはチェックを入れて研究しました。解く楽しさが持続する、解き筋に流れがある、配置の力を引き出している、見つけやすさの起伏がある、無駄なヒントがない、など面白いと感じる要素はいろいろあります。
そして結局は、下記の「私の考える良いパズル」にも書いたように作者の意図が面白く、その表現がうまい作品が面白いのだという考えに至りました。
研究の成果を作品に生かそうと努力していますが、どこまでできているでしょうか。
私の考える良いパズル
詰将棋やプロブレムでは、単に最短手順で詰ませる手順が一つしかないというだけでは、作品になりません。必ず、何らかの作意(テーマ)があり、その作意の面白さと、それが如何にうまく表現されているか、で作品の価値が決まります。
ですから、ナンプレなどのリトゥンパズルでも作意とその表現に面白さを求めてしまいます。
もちろん、リトゥンパズルは、詰将棋等とは違い、パズルとして成立させれば、特に何の工夫もしていなくても作品になり得ます。また、作意は主に手順で表現されるので、手順が解答である詰将棋等とは異なり、最終図が解答であるリトゥンパズルでは作意を的確に解き手に伝えるのは困難です。
しかし、作意は正確に伝わらなくても、絵画、音楽などの芸術作品がそうであるように、良い作品であれば、受け手の勝手な解釈であっても何かを感じさせる力があるものです。パズルが好きな人であれば、○○評論家よろしく洗練された(?)勝手な解釈ができるものです。パズルも、解きながら「おっ、そうきたか」とか、「(工夫したことが実現されていると感じて)うまい!」と感じるから面白い。私は、そう思います。

